鈴木先生のコラムとやや重複しますが、トナカイとサンタにまつわるお話です。

 

トナカイ豆知識

 

トナカイはシカ科トナカイ属の1種です。もとはアイヌ語でした。

 

日本語では別名、馴鹿(じゅんろく)と言います。人に馴れた(なれた)鹿という意味で、家畜化が可能な鹿ということだそうです。英語ではreindeer(レインディア)と言いますが、北アメリカで生息する個体はCaribou(カリブー)と呼ばれます。

 

当初は、トナカイの頭数は一定せず、名前もありませんでしたが、ニューヨークに住んでいた神学者クレメント・クラーク・ムーア(1779~1863)が、1822年に自分の子供たちのために作った「聖ニコラスの訪問」という詩の中で、はじめて8頭のトナカイがひくソリに乗って空を飛ぶことが書かれています

 

また1823年にアメリカの新聞に無名で発表された「サンタクロースがきた」という詩でもソリをひくトナカイは8頭とされたので有名になりました。その8頭にはそれぞれ名前がついていて、そりをひく順番も決まっています。その8頭の名前は以下の通りです。

ダッシャー (Dasher)・ダンサー (Dancer)・プランサー (Prancer)・ヴィクセン (Vixen)・コメット :(Comet)・キューピッド (Cupid)・ダナー (Donner)・ブリクセム (Blixem)

*Donner(ダナー)は、Dunder(ダンダー)またはDonder(ドンダー)ともいいます。どれもthunder(サンダー)「かみなり」を意味する名前ということです。

 

現在では、1938年に発表されたロバート・L・メイの詩「ルドルフ赤鼻のトナカイ(赤鼻のトナカイ)」に登場するルドルフ (Rudolph) を先頭に加えた9頭とする説が一般的になりました。原題は、実は“Rudolph the Red-Nosed Reindeer”で、このreindeerというのが英語のトナカイにあたるレインディアであるというのは最初に書きましたね。翌1939年には、この詩をもとにした児童書が発表されてベストセラーになりました。また、1948年には詩や物語から同じ題名のクリスマスソングも生まれました。「ルドルフ」は、真っ赤なお鼻のトナカイとして何度もアニメ化されています。歌詞でも有名になった通り、ルドルフは鼻が赤くて他のトナカイの笑いものになっていました。ですから他の8頭のトナカイの鼻は赤くはないのですね。

 

 

そりをひいているトナカイは雄なのか雌なのか問題

トナカイは、シカの仲間では唯一、オスもメスも角があります。しかし、オスのトナカイは秋の終わりから12月中旬までに角が落ちてしまいます。ですからですからクリスマスのシーズンに角が有るのは雄ではないということになります。そうなると、そりを引いているのはメスということになりますが。妊娠していないメスは3月頃、妊娠して いるメスは春の出産後の夏頃に角が自然に落ちます。ですから12月の下旬に立派な角があるトナカイはいないことになってしまいます。残された答はただ一つ。オスでもないメスでもないトナカイというわけです。つまり正解は「去勢されたトナカイ」なのですね。去勢されたトナカイは、12月のクリスマスシーズンに立派な角が唯一あります。北欧でも、実際にソリを引くのは去勢されたトナカイだそうです。

 

◆補足

1822年に神学者クレメント・クラーク・ムーアが発表した「聖ニコラスの訪問」という詩の中で、初めて8頭のトナカイが空を飛ぶソリを引く事が有名にしましたが、その他にもう一つ有名にしたことがあります。それはサンタクロースが煙突から家の中に入るということです。詩の中には「聖なるニコラウス煙突からどすん」という言葉が書かれていて、世の中の人々にサンタクロースのイメージを固めました。

 

☆「ニコラウスの逸話」

サンタクロースの起源は4世紀ごろ、現在のトルコのミュラの司祭だった聖ニコラウスがモデルだと言われています。 聖ニコラウスはトルコの裕福な家庭に育ち、困っている人や貧しい人を助け、自分の持ち物を惜しまず与えていた優しい人でした。あるとき、ニコラウスの近所に3人の娘のいる家族が住んでいました。その家はたいへん貧しくて、娘たちは結婚をしたいと望んでいましたが、このままでは娼婦にならなければいけないというほど生活が苦しかったのです。それを知ったニコラスは、その夜、その家の煙突から金貨を投げ入れました。その金貨は暖炉のそばに干していた靴下の中に入って、そのお金で娘は救われ、後に結婚することができました。 聖ニコラウスは下の2人の娘にも同じことをして、その家族を救ったと言われています。サンタクロースが煙突から入る、靴下にプレゼントを入れる、という話のおおもとは、この逸話から来ているのですね。

 

長くなりましたが、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

 

この記事を書いた人

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緒方克彦
担当科目:英語・国語
担当校:伊勢原校・成瀬校

理系が得意な私は医学部志望でしたが、小学校の教師になるために文系に転向して初等教育学科に進学。なぜか新聞社の内定をもらいましたが、選んだ道は塾講師。それから早30年。人生、何があるか分かりません。だから、若いうちは幅広く勉強することが大切だと思います。いろいろなことを吸収して、自分を磨きましょう。