こんにちは。緒方です。久しぶりに投稿します。

 

最近気になって仕方がないのが、「スマホを見ながら横断歩道を渡る若者たち」。

彼らは左右の確認など一切せずにマイペースで渡ります。青信号が点滅しようがおかまいなし。もともと信号も見ていません。高齢者よりのろのろ歩いている人もいます。

多くはヘッドホンをしているので周囲の音は聞こえていません。とにかく、心ここにあらずという感じで横断歩道を渡っているのです。

歩きスマホは、おじさんもおばさんもしていますが、さすがに横断歩道を渡る時は左右を確認しています。ところが若者たちは前方の青信号を一瞬確認するだけで、あとはスマホから目を離さず左右の確認もせずに、躊躇なく横断歩道を渡り始めるのです。車が止まるかどうかなど無頓着。そんなことを確認するよりもスマホの世界に戻るのを最優先にしています。

私は「そんな渡り方をしていて怖くないのか」不思議でなりません。

自分は青信号で渡っているので車にはねられないとでも思っているのでしょうか。それなら、いい歳をして交通事故の本質を理解していないとしか言いようがありません。

世の中には信号を守らない車もあります。人をはねてしまう車もあります。スマホを見ながら運転している車だってあります。ですから信号が青だろうが何だろうが、「自分の身は自分で守る」のが大原則です。なぜ、それがわからないのでしょう。そんなにも簡単に人を信じてしまうものでしょうか。私はそんな渡り方は怖くてできません。

彼らは毎日起きている交通事故の数を知らないのでしょう。いや、知らないのではなく、関心がないから交通事故の数が気にならないということでしょうか。目の前のゲームに夢中で、横断歩道の周囲の車の状況には無関心。気が回らないから何も怖くない。要は、目をつぶれば何も怖くないという意識の下で生きている人たちなのですね。

たしかに車は機械にしか見えません。ですから、人間相手なら疑っても機械相手だと疑わないのかもしれません。しかし、車の本質とは運転している人間そのものです。だらしない人間の運転する車は信用できません。信号や交通法規を守らない車なんかいくらでもいます。

昔は字が読めないことや無知を恥じる人が多かったですが、今ではどうでしょう。字が読めないかわりに、その場の空気が読めない人や、興味のない分野については知識が極端になくても平気でいられる人が跋扈していますね。

車が止まるのを確認しなくても横断歩道を渡るのが怖くないのだから、北朝鮮が日本にロケットを向けようが、世界中でテロが増えようが彼らは何も怖くないわけです。まさに無知と無関心は無敵ということなのでしょう。

私は「そんな渡り方をしていて怖くないのか」不思議でならないと書きましたが、同時に「そんな生き方をしていて怖くないのか」不思議でならないという気もしています。

恐怖は、危険を回避するために必要ですから、人間が生きていくためには必要な能力です。それをスマホが人間から奪っているように感じるのです。

この記事を書いた人

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緒方克彦
担当科目:英語・国語
担当校:伊勢原校・成瀬校

理系が得意な私は医学部志望でしたが、小学校の教師になるために文系に転向して初等教育学科に進学。なぜか新聞社の内定をもらいましたが、選んだ道は塾講師。それから早30年。人生、何があるか分かりません。だから、若いうちは幅広く勉強することが大切だと思います。いろいろなことを吸収して、自分を磨きましょう。