師走の語源
① 昔からある言葉だが、語源は不明という説
「しわす」ということば自体は、奈良時代からあり、「師走」という漢字を当てて書くようになったのは江戸時代からともされています。実際、万葉・記紀時代には「十二月」と数字で書いて「シハス」と読み、「師走」とは表記していませんでした。
万葉集巻第九~一六四八には「十二月(シハス)には 沫雪降ると 知らねかも 梅の花咲く含めらずして」とあり、日本書紀にも「十有二月(シハス)」と書いてあります。したがって、「師走」は後世の当て字であることがわかります。
「しわす」とは、年が終わる「年果てる」や四季の果てる「四極(しはつ)」 等が変化したという説です。このほか「四極(しはつ=四季が果てる)」が変化したという説もあります。どれも「果てる」「終わる」という意味が含まれますね。
② 12月には配札で先導師が忙しかったという説
Facebookの大山阿夫利神社のコメントによりますと、
大山にも縁の深い「師走」のお話をさせていただきます。今から三百年以上前、大山は神仏習合のただ中にあり、山中には神職、僧侶、山伏などの人々が混在していました。戦国時代、小田原北条氏の勢力下であった大山は戦においても北条氏の召還を受け、戦に出陣していたといわれています。徳川幕府が開かれ江戸時代を迎えると、北条氏に味方していた大山の勢力の力を削ぐために、結婚していない僧侶以外の人々に下山を命じ、多くの師職や山伏が下山を余儀なくされました。退去を迫られた一派は、自分たちの生活を守るために宿坊の営むようになり、大山の宿坊街が形成されていきました。そして、後に御師(おし)と呼ばれる人々は大山信仰の布教活動を熱心に行うようになっていったのです。そして、後に御師(おし)と呼ばれる人々は大山信仰の布教活動を熱心に行うようになっていったのです。全国各地の寺社にも御師は存在しておりましたが、大山御師の活躍は目覚ましく、大山が一大霊場として知られるきっかけにもなっていきました。現在でも、この地域では全国でも類を見ない、四十軒以上の御師が現存しています。
※御師の呼称は先導師に改称されています。
そして御師の大きな役割には十二月の神札を配り歩く配札と呼ばれるものがあり、現在でも続けられています。お分かりの方もいるかもしれませんが、この御師がせわしなく走り回る時期、それが師走の語源であるとも言われています。
このほかにも
③ 僧侶が釜締めの読経で忙しく檀家回りをしたという説
12月には「釜締めのお経」というのがあります。これは12月24日頃から台所にいらっしゃる「火の神様」に対し一年間の無事を感謝し、神様にお休みいただくためのお経になります。お仏壇や台所に祀っている火の神様に対してお経を読み供養をします。檀家さんや希望する方のお宅へお参りさせていただくわけですが、30件以上のお宅を伺います。この釜「釜締めのお経」と季節柄、お亡くなりになる方が多いので通夜葬儀も多くあります。そして12月のほとんどは大掃除で過ごします。お寺の本堂のお掃除は大変です。仏様や天蓋にかぶったほこりを丁寧にお掃除します。とても大変な作業です。普段は穏やかなお坊さんが12月になると走っている、なんとなく想像できますでしょうか。
この記事を書いた人
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担当科目:英語・国語
担当校:伊勢原校・成瀬校
理系が得意な私は医学部志望でしたが、小学校の教師になるために文系に転向して初等教育学科に進学。なぜか新聞社の内定をもらいましたが、選んだ道は塾講師。それから早30年。人生、何があるか分かりません。だから、若いうちは幅広く勉強することが大切だと思います。いろいろなことを吸収して、自分を磨きましょう。
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