国語の緒方です。

「~ていれば」という表現のもとになる古語の「~てあれば」という表現が正岡子規の「病中雪四句」の一つに使われてありました。ふと、昔、中2の教科書に載っていた若山牧水の短歌を思い出してしまいました。

 

見てあれば

「~ば」には、①~すると ②~するので ③~するときはいつも の意味があります。

「ある」にはいろいろな意味がありますが、歌の中で使われる場合には「ある場所に身を置く。また、特定の位置・状態にいる。」という意味のことが多いです。

「見る」「て」「ある」「ば」が結びついてできた補助の関係の語句「見てあれば」が、「見ていると」という意味で使われている歌がありました。2つほど紹介します。

 

見てあれば 一葉先づ落ち また落ちぬ 何おもふとや 夕日の大樹

みてあれば ひとはまずおち またおちぬ なにおもうとや ゆうひのおおき

(『海の声』若山牧水)*中2の教科書に掲載されていたことがある

見ていると 葉が一枚まず落ち それから少ししてからまた一枚落ちた

何かもの思いにふけっているのだろうか 夕日を浴びて立っているあの大きな木は

 

雪降るよ 障子の穴を 見てあれば

ゆきふるよ しょうじのあなを みてあれば

(『寒山落木』正岡子規)「病中雪四句」

雪が降っているよ 障子の穴を 見ていると (気が付いたのだ)

 

 

この記事を書いた人

アバター画像
緒方克彦
担当科目:英語・国語
担当校:伊勢原校・成瀬校

理系が得意な私は医学部志望でしたが、小学校の教師になるために文系に転向して初等教育学科に進学。なぜか新聞社の内定をもらいましたが、選んだ道は塾講師。それから早30年。人生、何があるか分かりません。だから、若いうちは幅広く勉強することが大切だと思います。いろいろなことを吸収して、自分を磨きましょう。